SPECIAL
INTERVIEW

アスリートセカンドキャリア支援事業

インタビュー

セカンドキャリアの成功に必要な
「マインドチェンジ」の極意

福島ファイヤーボンズ 代表取締役社長

西田 創 Tsukuru Nishida

1983年4月17日生(39歳)福岡県出身。中学1年生からラグビーを始め、東福岡高校時代の3年次に全国大会準優勝。立教大学進学後は、4年次にラグビー部主将を務める。大学卒業後の2006年からNECに入社し、ラグビー部「NECグリーンロケッツ」に所属。所属する傍ら、母校の立教大学ラグビー部でコーチを務め、引退後の2016年から2020年まで同校のヘッドコーチを歴任。19年に組織コンサルティング会社の識学に転職し、2020年からバスケットボールリーグ”B.LEAGUE”の「福島ファイヤーボンズ」の副社長に就き、2021年5月から社長に就任。

日々、メディアや広告で華々しい活躍をみせるプロのアスリートたち。しかし、輝かしい表舞台の裏で、
社会問題となりつつあるのが、アスリートのセカンドキャリア問題だ。

表舞台から身を引いた彼らは、引退後、どのようなキャリアを歩むのか。

自身も33歳までラグビー選手として活躍後、指導者としてチームを率い、そこから心機一転ビジネスの世界に飛び込み、
現在はプロバスケットボールチーム“福島ファイヤーボンズ”の経営者となった西田創氏に話を聞いた。

セカンドキャリア支援は、
地域との連携がカギ

はじめに、現状のBリーグとしてのセカンドキャリアの支援体制について教えてください。

残念ながら、Bリーグとしてのセカンドキャリア支援はほとんどできていないのが現状です。企業やスポンサーが引退選手を受け入れたり、どこかの企業に繋げたりする取り組みはまだそう多くないのが正直なところです。現在は、各選手の頑張りに依存している状況で、私たちとしても、とても大きな課題だと捉えています。選手自身が自己責任で道を切り開くことは大切ですが、リーグ全体を巻き込み、その受け皿となるような存在が必要だと感じています。 ただ、もちろん私たちも何も動いていないわけではありません。たとえば、選手に希望してもらえば、私たちの会社にそのまま迎え入れる準備はしていますし、学校法人を運営しているスポンサー企業様などと、ゆくゆくはそこで元選手が働けるようなお話も進めています。 こうした地域の企業との連携を進めることは、アスリートのセカンドキャリア支援を加速させる一つのカギになるのではないかと考えています。

未来を左右する、
ビジネスマンとしての経験の有無

西田さんご自身もアスリートとして活躍後、NECでの営業や母校の立教大学のヘッドコーチを経験されています。アスリートから、ビジネスマンとしてのセカンドキャリアへの歩みを進めたことで、現役時と比べてもの足りない点などはありませんでしたか。

私の場合、現役人生をやりきったと感じたことから、自ら引退を決断しました。引退を宣告される選手も少なくないなか、幸せに現役人生を引退できたと思っています。そのため、もう思う存分やりきったという気持ちが強かったため、ビジネスマンになってからも、何か物足りなさを感じたことはなかったと思います。ただ、刺激やストレスの種類は少し違ったかもしれません。ラグビーで成功することと、ビジネスで成果を上げることというのは、全くゴールやプロセスが異なります。その点は刺激が足りないというよりは、戦うフィールドが変わったという捉え方をしています。

現役中は、どのように仕事とアスリートとしての生活を両立していたのですか。

シーズン中であれば、主に午前中に働いていました。それ以外は基本フルで働いていました。現役の時は、仕事が少し試合に向けて煩わしいと感じた時もありましたが、今思うと経験してよかったと思います。もちろん試合後に、明日の仕事は流石に休みたいと思うこともありましたけど、でも個人的には学生の頃から勉強とスポーツ、どちらも100%で向き合うスタイルだったため、そこまで苦ではありませんでした。アスリート一色だけではなくて、仕事との両立を選んで良かったのは、引退後に身にしみて感じることになりました。セカンドキャリアに一歩踏み出したい人にとっても、一般的なビジネスマンとしてのスキルや経験の有無は大きな違いになると思います。

現役を引退されてからは、NECでのお仕事や立教大学のヘッドコーチをご経験されています。

母校である立教大学のヘッドコーチに就任したのは、OB会の方から声をかけられたのがきっかけです。昔よりもスポーツ推薦も増え、環境が良くなっているにも関わらず、勝てなくなっている。この現状を打破するためにも、次のヘッドコーチを探していたところ、「西田が引退するらしい」という話が周り、私に声がかかりました。チームを立て直して欲しいという話を受けて、「NO」という選択肢はなかったです。母校のために力になれることがあればという恩返しの想いで引き受けました。

目指すのは、「福島のシンボル」

その後、組織開発のコンサルティング企業である株式会社識学に転職されています。なぜこのタイミングで、本格的にマネジメントを学ぼうと考えたのでしょうか。

私が立教大学のヘッドコーチに就任してから、明らかにチームは少しずつ変化している手応えは感じていたものの、ただ思うように勝ち切れない時期がありました。確実に選手たちは成長してるのに、勝ち切れない。この理由は、選手ではなく、私のマネジメントに問題があると考えたんです。そんな考えを巡らせていた時に、たまたま識学のセミナーを見つけて申し込みました。すると識学の方から、「識学でコンサルタントの経験を積みながら、その学びをチームに適用することができれば一石二鳥ではないか」というお話をいただきました。コンサルタントとして経営者と接点を持ち、経営課題、組織課題を解決していくという仕事はとても魅力的だったので、チャレンジしてみようとすぐに転職を決めました。お話をいただいて一時間くらいで決めましたね。

現その後、2020年に、ファイヤーボンズの副社長に就任されていますが、どのような経緯があったのでしょうか。

元々、福島ファイヤーボンズは、識学がM&Aした企業になります。声をかけてもらった当時、大学のヘッドコーチとして5年目のシーズンを迎えるときで、「実は福島ファイヤーボンズというプロバスケットボールクラブを子会社化して、この運営を責任者として任せたいんだけどどうか」と言われて、すぐにやりますと返事をしました。だから経緯としては、親会社側から責任者として送り込まれたという形になります。識学は組織運営のコンサルをやっているわけですが、立教大学や早稲田大学のラグビー部にコーチを派遣していました。それを講師派遣ではなくて、グループ企業としてバスケットボールチームを運営したら、識学が有用であることの何よりの証明になるんじゃないかと考えました。

ラグビーからバスケへ、全く違った競技に携わることに対する不安はなかったのですか。

不思議と不安はなかったですね。識学のコンサルティングで、さまざまな企業の組織改革をお手伝いしていたので、他のスポーツだからどうこうみたいな不安は全くなかったです。

福島ファイヤーボンズは、地方創生を一つ大きなテーマに掲げていますが、具体的にどのような世界の実現を目指していますか。

私たちは、福島県内初のトップカテゴリに所属するプロスポーツクラブになることで『福島のシンボル』になることをビジョンに掲げています。でも考えてみると、色々なシンボルがあると思います。たとえば広島といえば、多くの人が広島カープを連想すると思います。 そのような福島におけるスポーツコンテンツの第一人者になるのが今の目標です。具体的にいうと、ファイヤーボンズのグッズをつけた人がまち中を歩いていたり、学校の会話の中でファイヤーボンズの試合に関する話題が出ていたりするような景色をイメージしています。このようにファイヤーボンズが、地域の人々の日常に当たり前に溶け込んでいる世界を実現したいと考えています。その結果、経済的な部分でも、福島に還元していければと思っています。

アスリートからビジネスマンへ。
必要となるマインドチェンジ

最後に、今現在セカンドキャリアで悩まれていたり、歩みだそうとされている方に何か伝えたいことを教えていただけますか。

セカンドキャリアの観点でお話すると、リーグやクラブ側が十分な支援環境を準備することはもちろん大切です。しかし同時に、アスリート側のマインドチェンジも必要だと思います。私自身、それで苦しんだ経験があるからこそ、伝えたい。たとえばラグビーでは、試合に勝つためのパフォーマンスを出せばいい。スポーツもビジネスもゴールは両方とも明確にあります。そしてゴールに到達するために、クリアするべきタスクもあるわけですが、このタスクは自分が本当に心からやりたいと思うことでないと、精神的に苦しいことがあります。そもそもアスリートという生き物は、「自分の好きなこと」や「やりたいこと」を追求することを生業にしてきた人たち。だから、ビジネスマンとして生きていくのであれば、そのマインドセットを一度変えないと、企業では生き残れませんし、そこから逃げたとしても、また新たな試練がきます。

一度、今までアスリートとして積み上げてきた肩書きやプライドを全て捨てる。営業マンとして生きる覚悟を持つ。それぐらい変えていかないと、社会に適応することは難しい。2ヶ月前までプロとして試合に出ていたとしても、社会に出ればひとりのビジネスマン。言ってしまえば、同年代の人たちよりも、ビジネス経験の少ないビジネスマンです。要するに、マイナスからのスタートなんです。 アスリートとしての評価と、ビジネスマンとしての評価は全く別物です。厳しいことを言うようですが、その現実をまずは受け入れないといけない。ただ、そのスイッチさえ切り替えることができれば、アスリートは大変な困難に打ち克ってきた経験と、爆発力を持っているはずなので、きっと追いつき追いこせるはずです。 このマインドチェンジのプロセスをしっかりと経ることをぜひ大切にして欲しいです。長い人生の中で、今一度自分を見つめ直すことで、きっとあなたのセカンドキャリアは豊かなものになるはずです。

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